学生の学生による学生のための大学

お元気様です。原研代表です。
今年は、珍しく台風が岡山に直撃していますね。

さて、私たち岡山CARPでありますが、残念ながら公認化されている団体ではありません。
他大学では、以下のような内容を挙げられていました。


活動内容に単一の教義を探求し、実践する活動が含まれているから
新入生に対して、単一の教義に捉われない、視野を広げてもらうことを目的にしたい

これは、おかしな言い方だとは思いませんか?


また、名古屋大学における山口貴士弁護士の講演でも、これと同じような理論が展開されています。

山口弁護士曰く、
「カルトの何が悪いのかというと、

一つは『信教の自由』『宗教を選択するという自由』というのを侵害している

二つ目として、大学教育を受ける権利の侵害です。

大学というのは、非常に多様な価値観によって、つまり真理を教えてもらうところではなくて、
自分で『何が真理なのか?』ということを考えて、悩んで考えて、研究したりとか、あるいは研究の仕方を得る場所であって、
少なくとも特定の人の思想を全面的に受け入れることによってこと足りるというスタンスは、少なくとも大学教育においてはあり得ないわけです。

こういう、①と②を合わせて『自己決定権を侵害』が行われていて、これを大学が座して見ていていいのかっていうこと」です。

櫻井義秀氏も同様の発言をしています。

しかし、

普通、サークルの活動は単一の目的で行われます。

運動系なら単一のスポーツや武道、文科系でも自分の好きな単一の活動を選んで参加するものであり、何でもやるサークルというのは存在しないですよね。

単一の目的を持つ多数のサークルが並行して存在するので、学生たちはその中から自分の好みに合うものを選択できるのであって、個々のサークルの単一性が問題なのではないのであります。

全体として多様性があるからこそ、学生は選択権があるのであり、その中から単一の目的を持つものを排除すれば、逆に学生の選択権を狭めることになりませんか?

数多くの単一の目的を持つサークルの中から、宗教的なサークルだけ「単一の教義を探求している」からという理由で排除するのは、まったく理に適っていません

信教の自由の意味も同じであります。
特定の教えや単一の教義を持つ宗教団体が、政府から規制を受けずに多数併存することによって、全体として信教の自由が守られることになります。


そもそも、「特定の宗教」でない宗教は存在しません。キリスト教もイスラム教も仏教も、すべて特定の宗教であります。

こうした「特定の宗教」の教えを絶対的に信じることは民主主義に反するとして排除すれば、それによって信教の自由が否定されることになります。

大学の中においても同じで、「特定の思想だから」「特定の宗教だから」という理由で排除しようとすれば、それは学生の自由や選択権を奪うことになるのであります。

以下は、私の父が大学に宛てた手紙の一部です。


もし、現在行われている岡山大学の「カルト対策」が大学の既定方針であるとするならば、私は父兄として、是非それを再考していただきたい、あるいは当初に立てた目的や方針と実際に行っていることが合致しているのか、「自己点検評価」を行っていただきたいと思い、僭越ながら、学長様にこうして直接お手紙を差し上げることを決断いたしました。
 私は学長様が岡山大学公式ウェブサイトで語っておられる、「岡山大学は、公的な『知の府』として、人類社会から付託されたこの基本命題を実体化するため『人類社会の持続的進化のための新たなパラダイム構築』を大学の目的に掲げています」という決意は、大変素晴らしいと思います。また、「地域をはじめとした国内外の社会と、多様な分野において、密接に連携する開かれた大学を目指す」という姿勢も、素晴らしいと思います。どうか、私のような父兄の意見に対しても、開かれた運営を行ってください。
 私が学長様のメッセージならびに「岡山大学の目標」で特にすばらしいと思ったのは、「公的機関として、社会への説明責任を果たすため、研究、教育、社会貢献、管理運営のすべての分野において不断の自己点検評価を実施し、その結果を公表し、大学改革に反映させる」という部分です。現在大学の「管理運営」の一環として行われている「カルト対策」なるものが果たして適正なのか、是非「自己点検評価を実施」していただき、父兄に対しても「説明責任」を果たし、「その結果を公表」し、「大学改革に反映」させていただきたいと思います。


関連記事