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さてさて、なんか私にもできることないかなーと思ったので、自分の興味持ってる内容哲学について、ちょっくら、なるべくわかりやすく書きます。
哲学っていうときにドイツ観念論とイギリス経験論ってものの対立がなかなか重要でして、長らくバトルしてたわけです。みなさんどっちが正しいと思いますかね?「そもそもそれらがなんなのかをシラネーヨ!」ってかんじですね、たぶん。これらはどっちも矛盾を含んでます。統一思想ではカイン型と呼ばれる人々ですな。

それらを止揚した(二つの理論をのみこんで一つにしようとした)のがカントさんやヘーゲルさんです。ちなみにアベル型に分類される人たちです。まあ、やっぱり課題をはらんではいるんですけども。

まずは冒険的に「イギリスのベーコンさんに始まる経験論とはなんぞや?」ってテーマでやってみます!
なんかどこか違ったらわかる方あとで指摘お願いします。

経験論とは?

「人間は経験によって知識を取得していく!それだけだーーー!」ってやつです。(←軽。)
人間の心は「白い紙white paper」であって、赤ちゃんの時・生まれた直後はそれが真っ白。そこに目で見て、耳で聞いて、手で触って…「あ、このひとがかあちゃんかー」とか、「こおりってつめたいんだなー」とか知っていくって話です。まぁ、間違いはなく聞こえます。

つまり、すべてが後天的に書き込まれるので、先天的に何か備わってるってことを否定します。
だってwhite paperですからね。生まれながらになにか書き込まれてるっていうことは批判するわけです。

でもこれっておかしくて、ここからちょっとだけややこしいです。

「経験」ってどうやってなりたってますか?って問題になってきます。
たとえば、「このひとがゴンザレスさん(以下表記:ゴンちゃん)か~」っていう経験。
感覚経験は理論的に反復不可能です。←なんかかっこつけた言い方をしちゃってますねぇ~
たとえば人間の顔って刻一刻と変化してます。老化・成長が常に起こってますからね。だから今日のゴンちゃんの顔と明日のゴンちゃんの顔は違うわけです。なのにやっぱり次の日になってもゴンちゃんをゴンちゃんとわかる、不思議です。

「そんなのわかるにきまってるじゃないかぁ~」って感じですかね。ここでポイントなのは変化の大きさじゃなくて、変化してるのに同じものだってわかる人間の能力です。この能力がなかったら経験ってものが成り立ちません。

「さくら」はどうですか?花の数、木の高さ、幹の色…一本一本、全部違うじゃないですか!なんでひっくるめてさくらって呼ぶんですか!おかしいよ!ってはなしです。まぁ、もしかしたらここでさくらの分類上の定義を生物学的に論じたい人が出てくるかもしれないんですが、実はそれも結局同じことなんです。用は根本的な「人間の経験の成立の仕方」って話をしてますから。

(勘のいい人はここで「言葉の成立」って問題をとリンクするかもしれません。そのとおりです。)

つまりいいたいこと!!結論!!これでおわり!!!
人間には経験に先立って経験を成り立たせている能力が備わってるんです!
経験に先立つものがあるとなれば生まれたての赤ちゃんwhite paper説は打ち砕かれます。ガーン。

経験論と合理論の対立は「私の経験に先立って世界が存在していますか?それとも私の意識が世界を構成して存在させていますか?」って対立でもあります。理論的には結構ぉ~ややこしいですよ~、じつは。

どうなんだろう、やってみたけど。また修正するかも。
ぼちぼちやってみようかと思いますが、みなさんが読んでおもしろかったなら、ですね
自己満足じゃしょうがないわ。

じゃ☆またの機会に~

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