「鞄」

どーも、1年のころから1度も誰からもサークル紹介で声かけられたことのないしょーえいです…orz

ハハッ…目から鼻水が…

意味が分からないって人は4月25日のブログをチェック!!

さて、今日は懐かしい人には懐かしいある短編小説を紹介したいと思います。

新潮文庫から出ている阿部公房著『笑う月』に収録されている「」という短編小説です。


笑う月 (新潮文庫)笑う月 (新潮文庫)
(1984/07)
安部 公房

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そうです。小学校だか中学校だか高校だか忘れましたが、国語の教科書に載っていたアレです!!

主なあらすじを説明します。

私の事務所に大きなを抱えた就職希望の青年が訪れた。
面接をするのだが、その青年の考えがどこかおかしい。が中心なのだ。
そのをとても大事にしている。がないとどこへも行けないような感じさえする。
「そのの中身はなんだ?」と聞くが、「たいしたものは入っていない」と答える。
そのは不気味だがどこか惹き付けられるものがある。
私は青年を雇うことにした。青年はその鞄を置いて知り合いの不動産屋に連れられて部屋を見に行く。
私は残された大きな鞄を何気なく持ち上げる。重いが持てなくはない重さだ。試しに歩く。
いい感じで歩ける。気がつくと外に出て歩き回っていた。
事務所を一歩出ると、そこは坂になっている。坂をのぼってみた。
あるところまでのぼると、鞄の重さで腕が痛む。そこで下ってみると進めるようになる。
またのぼろうとすると激しく痛む。それで進む道が限られ、私は限られた道をただ進めばいいだけになった。
そうすると、行く道は限られてしまうのだが何ともいえない開放感に満たされていくのであった。
私は嫌になるほど自由だった。



こんな感じですね。
はい、最後の一文がものすごく印象的ですよね。

私は嫌になるほど自由だった。

何か矛盾しているようで、しかし論理的でもあります。

鞄によって行くべき道が制限されてしまったわけです。

自由を失ったように見えますが、しかし、それによって私は開放感を感じ、嫌になるほど自由を感じたわけです。

では、一見自由を奪ってるように見えて、しかしその実、私に「嫌になるほど自由」を感じさせた鞄とは何を比喩しているのでしょうか?

ここから先は私なりの解釈ですがそれはその人の信念であったり決意であったり、指針であったりするかもしれませんが、人の生き様を決めうる何か精神的なものではないかと思うのです。


信念に生きようと思えば、必ずそれ相応の困難があります。

マザー・テレサという女性は、修道女という身分を捨て、インドのスラム街へ行き奉仕活動に従事しました。

それまでの生活は質素ではありましたが寝床があり、食べるものがあり、着るものがありました。

その環境から一転して寝床も食べ物も着るものも何もない生活へ自ら進んでいったのです。


まるで、鞄を持って自らの進む道を限定したかのごとく…


しかし、彼女はそこで本当の幸せを知ったのです。

道で倒れゆく人々に施しながら、それ以上に受けていることに気付くのでした。

そして、はじめは彼女の活動に対して批判する人もいましたが、ノーベル平和賞を受賞し今では誰もが認める偉人として語り継がれています。


彼女の生き様からも分かるように、鞄を持つことはとても困難な苦しいことのように思えます。

しかし、それによって得られる「自由」はそれ以上の喜びを我々に提供してくれるものとなりそうですね。



ちなみに、統一原理的にいえば自由とは三つの定義からなり、

1、原理を離れた自由はない。

2、責任のない自由はない。

3、実績のない自由はない。


ということで、これを当てはめるならさしずめ統一原理が鞄に当たりそうですね。

統一原理の教えは確かに素晴らしいものですが、実践してみて初めてその難しさが分かります。

しかし、その深奥に触れることができたなら本当の「自由」を獲得できるのかもしれないですね。



ぽ ち っ と ⇒ 


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コメント

あ!しょえーさんていうんですかー!(´∀`*)いま新歓イベントやってるんで来てみません!?

  • 2012/04/29 (Sun) 20:33
  • きゃ #-
  • URL
Re: タイトルなし

> あ!しょえーさんていうんですかー!(´∀`*)いま新歓イベントやってるんで来てみません!?

どうもです。
ありがたくお断りさせていただきます(笑)

  • 2012/04/30 (Mon) 08:37
  • しょーえい #-
  • URL

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