いじめ

みなさんも最近よく耳にするいじめ事件について少し考えてみたい。


大津市で昨年10月、市立中学校2年の男子生徒=当時(13)=が飛び降り自殺した問題で、全校アンケートによると、昨年の夏休み以降、男子生徒への暴行が集中していた。
同月17~19日に学校が全校生徒859人に実施したアンケートでは、亡くなった男子生徒が「首を絞められていた」など、暴力を振るわれていたとされる回答が114件あった。「先生も見て見ぬふり」など、教員がいじめを黙認していたとの内容も多い。
この事件が騒動になって以降、担任教師の男性は表に出なくなっている。最大の問題は、この担任教師の教育的無関心が事件の背景にあることを知りながら、彼の存在をひた隠しにしようとする学校と教育委員会の姿勢にある。
そうした対応を見ると、生徒を第一に考えるという教育者として大切な部分が決定的に欠けているのではないかと思わざるを得ない。守りたいのは生徒ではなく、学校と教師の体面だけなのである。
<産経新聞yahoo!newsから引用>


私はこの記事を読み、大変な憤りを覚えた。

なぜこのようないじめが起こるのだろうか。誰しも幸せを願い、平和を願い生きているはずなのにこのような不和が生じるのだろうか。

いじめ問題について、このブログをご覧になっている皆さんと一緒に私が今直面している身近な例をあげながら考えていきたい。




1.まず、いじめとは何なのだろうか?


いじめの定義
①(1)自分より弱いものに対して一方的に(2)身体的、心理的な攻撃を継続的に加え(3)相手が深刻な苦痛を感じているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わないこととする。(文部省1994年)

②集団内で単独または複数の成員が、人間関係の中で弱い立場にたたされた成員に対して身体的暴力や危害を加えたり、心理的な苦痛や圧力を感じさせたりすること(都立教育研究所)

③単独、または複数の特定人に対し、身体に対する物理的攻撃または言動による脅し、嫌がらせ、無視等の心理的圧迫を反復継続して加えることにより苦痛を与えること(警視庁保安部少年課1994年)

文部科学省のホームページから引用(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/040/shiryo/06120716/005.htm)



ここでは文部省作成の①をいじめの定義として扱っていく。

思うに、いじめが成り立つには強者から弱者に対してその行為が継続的に行われることが必要であると解する。なぜなら、同等の力関係である場合、反攻することが可能であり、そこにいじめ関係は成り立ちえず、また、靴を隠す、机に落書きをするなどの行為は継続しなければ、いじめとして成立しないからである。
よって、これらの要件を満たす①の定義が最も適当だと思われる。




2.ここで私が今回取り上げる身近な例がいじめといえるか否か、検討したい。


(ア)事実内容


今回取り上げる身近な例とは、大学の「カルト対策」のことである。

今回問題とする岡山大学で行われている「カルト対策」とは、オリエンテーション時に配られる資料中の「カルト系団体に関しての注意」というカテゴリで`“勧誘に関して相談があった団体”としてCARPをまるで“カルト”であるかのように名指しで批判していることだ。

これにより、CARPは今年度の大学祭に参加することができなくなってしまった。大学祭実行委員会の主張としては「大学が公的に発行している冊子にこのような形で名前が載っていると一般客からの批判が寄せられる可能性がある。そうなったときに責任を持てない。」ということだった。



この件に関して学生支援課に確認をしに行った。

代表「勧誘のあった団体としてCARPの名前が載っていますが、大学はCARPのことをカルトだと言っているのですか。」
担当者「カルトだとは言っていない。相談のあった団体として載せているだけ。」
代表「ほかのサークルが勧誘に関して相談があった場合も載せるのですか。」
担当者「それはわからない。」
代表「ちなみに、ここ最近CARPによる被害って報告されていますか。おそらく具体的な被害は聞いたところ5,6年は出てないと思うのですが。」
担当者「そうだね。でも過去にあったことは事実だから。」
代表「何年たってもそれは消えないのですか。」
担当者「私が決めることではないからわからない。」


このことを実行委員会に伝えても、すでに実行委員の方々はCARPに対する偏見を持った状態で会議を開き、全会一致でCARPの企画参加が否決されてしまった。

実行委員長および企画実行委員長は私の話をよく聞き、理解してくださった。だが、もう決まったことでもあるし、一度偏見をもたれたら、なかなかそれを解くのは難しい。実行委員長らは、申し訳なさそうに「名前が載ってなかったら、全然出してくださっても大丈夫なんですけど・・・」と言っていた。

大学祭とは、公認・非公認に関係なく岡大の学生であれば参加の許された、学生の自由な活動の発表の場である。このような形で学生の学内での表現の自由が守られなかったことが私としては非常に悔しい。


ところで、私たちが“勧誘に関して相談のあった団体”として名前が載るに至った経緯を簡単に説明しよう。
実はCARPにはまだ顧問教授がおらず、大学から公認サークルとして認められていない。岡大では公認されてない団体は学内で勧誘をしてはならないという学則がある。私たちはそれをしっかり守っている。その結果、サークル勧誘の方法としては下宿への訪問やショッピングストア前、道端での勧誘などに限られてくるのだ。

そうやって規則を守っているにもかかわらず、大学はその学外での勧誘に対しても介入をしてくる。このビラを見てほしい↓
http://kymx.adm.okayama-u.ac.jp/hp/s_center/pdf/karuto-2012_03.pdf

このようなビラが岡山大学には何枚もあった。(今は改善されている)
大学生が不安になって学生相談室や学生支援課に相談しに行くのは無理もないことだ。

こうしてCARP=カルトというイメージが創られてきた

これが全ての原因とは言えないが、事実CARPの学生が偏見の目で見られることも少なくなく、新しいメンバーも他のサークルと比べあまり入って来ていないように感じる。





(イ)検討


(1)「自分よりも弱い者に対して一方的」な行為といえるか

公権力たる大学に対し、一サークルの力など無力に等しい。我々はしっかり学則を守っているにもかかわらず、大学は私達の活動に対してビラやオリエンテーションを駆使し、圧力を加えてくる。これを一方的と言わずして何と言おうか。



(2)「身体的、心理的な攻撃を継続的に加え」られていたといえるか

身体的行為としては2008年度以前まではCARPメンバーに対して拉致監禁が行われていた事実がある。それに関しては『大学の宗教迫害』(著 室生正、株式会社 日新報道)および『財界にっぽん』(2011年3月号P.44) をご覧いただきたい。
また心理的な攻撃としては2011年度まで毎年、入学オリエンテーションや授業においてCARPに対する誹謗・中傷が行われていたことがあげられる。そこで学ぶ内容がいかに間違っているかなど。私たちが今までCARPで学び、誇りとしてきた理念や活動内容を否定されることは私たち自身を否定されることと同様の意味を持つ。


(3)我々が「深刻な苦痛を感じている」か

私の体験談を述べる。父が大学生の時CARPに所属していたということで父の勧めもあり、私は最初からCARPに入るつもりだった。そしてすぐに経験したのはオリエンテーションでのCARPに対する猛烈なバッシングだ。Y教授によってそれは行われた。大学の教授からそのように否定されたことがすごい悔しかった。私が誇りに思っている父が誇りに思っているものを否定されたからだ。
そんな強烈な否定を受けながらも、4月中旬に私はCARPに入った。そこで活動を続けていく中で次に経験したのは、「友人からの偏見の目」だ。今まで仲良くしていた友達に私がCARPに入っているということを伝えるとその友人の態度が少し変わった。何故か聞いたところ、岡山大学のHPにCARPは危ない団体、「カルト」ということで載っているというのだ(もう今はない)。それからというもの、友人から「お前まだカルトやってんの?」とたびたび聞かれるようになった。また、自分の友達だとかをCARPに誘っていると「他人に迷惑かけるのはやめろよ!!」と言われるのだ。
いつ我々が他人に迷惑をかけるようなことをしただろうか、むしろ「他の為に生きる」ということが自分たちの理念であるのになぜこのような不当な扱いを受けねばならないのか。友達が悪いのではなく、原因は大学が行う「カルト対策」にある。
非常に苦痛だった。どうすればいいかわからなかった。




(ウ)結論
 以上のことから、大学はCARPおよび他の宗教団体に対して一方的に身体的、心理的な攻撃を継続的に加えていると言える。CARPはその被害について深刻にとらえている。ゆえに、いじめであるといえる。もっと正確な言葉を使うとすれば、アカデミックハラスメントが適切であるように思う。




おまけ

(イ)の(3)のような出来事もあり、私は若輩者ながらにして、国民ならだれしもが持つ基本的人権である「思想・信条の自由」を守るため、大学の迫害と闘っていくことを覚悟しなければならなかった。

それは人生で初めて経験する大きな挑戦だった。
何度その苦しさに憤りを覚え、涙したことか・・・
一度は本気で死にたいと思ったこともあった。そんな人生のどん底とも言えるような時を通過し、今の自分があるのは当時の原研代表やCARPの先輩方のおかげだ。
いつも近くにいてくれて、励ましてくれた。事情、心情を同じくしてくれた。
そんな先輩方の支えもあり、今自分は原研代表として立っている。
先輩方の願いを受け、「カルト対策」と闘っている。


そしてとうとう、原研代表となってから半年がたつこの後期、先輩方の願いが通じたのか、学内の「カルト対策のビラ」はほとんどなくなった。

CARPは強い。なぜか、、、、そこには真の愛と真理があり、優秀な先輩方、いや、家族がいる。
そんな充実したひと時をみなさんも一緒に送りませんか?

すいません。ちょっとくさめに書いてみました
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コメント

つくばカープも同じようなところを通過していつも悔しい思いをしてきました。
大学で堂々と活動すること自体を抑圧する大学。そして周囲の偏見の目が未だに無くならない。。正しいことしてるのに、誤解されて、叫びたい気持ちになることが多々ありますね。
でも、私自身が誇りを失わなかったら、自然と周りも変わってくると信じて今日も元気に活動しています!

そもそも、ここにはっきりとその内容を書く勇気がすごいと尊敬します。
確かに正体がわかりづらい上にカルトって呼ばれると警戒してしまうのも無理はないですよね。
私たちから声を大にしていくことが大切だと感じました。
ありがとうございます!
ともに頑張りましょうーo(^▽^)o

  • 2012/11/17 (Sat) 23:15
  • ローズ #-
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